“心”が動いた激動の2025年
2025年ももう終わり。
12月は師走ということもあり、
本当にあっという間でしたね〜
まだ今年が終わりではないですが、
ここで2025年の振り返りをしたいと思います!
長い文章になるかなー?
どうせなるよなー
ま、気長にお付き合いくださいまし。笑
それではいってみよう!
昨年に起きた膝の大怪我。
左膝は骨折、靭帯損傷(前十字、内側)、半月分断裂(もう既になってた)
右膝は靭帯損傷(後十字、外側)
12月まではやり切りましたが、
年末年始で1ヶ月ほど離脱していました。
年明けにあったフットサルの関西大会にも欠場。
2月に関西1部残留を懸けた入替戦があり、
それが一番大事だったので、
そこに向けて我慢した2025年の始まりでした。
今思えば、
スタート時点から壮絶な1年だったのかもしれません…。
南紀オレンジサンライズFCの運営が変わって慣れない間にシーズンは開始。
選手も少なければ、
監督も不在の状態でした。
3月からの天皇杯前後で、
新監督の合流、選手の新加入などで
11人揃って試合に挑めました。
リーグ開幕から2連勝と勢いに乗っていたものの、
リーグ中断前の第3節で痛恨の引き分け。
そこから、
天皇杯の準決勝、決勝、
全社、クラブ選手権と大会が続きます。
天皇杯は決勝までいくも、
関西王者のアルテリーヴォ和歌山に大敗。
全社、クラ選も1回戦敗退、決勝敗退で、
タイトルが無いまま、
関西大会での挑戦が無いまま、
残すはリーグ戦のみという展開に…
クラブ選手権の準決勝が終わり、
3週間後の決勝までの準備期間でした。
自分にとって、
人生の中でも最も言っていいぐらい大きな出来事が起きました。
それが、
7/19に起きた父の危篤。
本当にちょうどその日の午後です。
午前練をしたら実家に帰ると連絡していました。
父は少し前から入院はしていたので、
そのお見舞いも兼ねて。
しかし、
7/19の早朝に母から電話があり、
「お父さんが危篤状態になってしまったからすぐに帰ってきてほしい」
と。
すぐにチームの代表と監督に電話をし、
実家へ長期滞在する用意をまとめて車を走らせました。
なるべく最悪のことは考えないようにして…
あまり、
危篤状態というものがどのようなものか知りませんでした。
うちのお父さんやで?
また回復して元気になるに決まってるやん!
そう心に言い聞かせて。
病院に着いたら、
ちょうど姉と同じタイミングで、
おっちゃん(父の弟)が父の側に先にいてました。
そこで知ることになります。
父はもう目を覚ますことはなく、
最も良い形で植物状態だということを。
頭が真っ白になりました。
心が空っぽになりました。
しばらく父の側にいて、
面会の制限時間が来たため退出しました。
おっちゃんと話をしてから別れ、
家に帰って家族3人で色々と話をしました。
すべての状況を把握して、
冷静に物事を判断し、進んでいくことを決意しました。
もちろん、
哀しみ、空虚感、絶望を抱えながら。
そこからは、
管につながれ、横になって目を閉じている父に
毎日会いに行きました。
大学から家を出た自分にとって、
毎日父の顔を見るのは久しぶりの感じでした。
歌を耳元で聞かせたり、
いろんな話をしながら過ごしました。
Maxでも2週間しかもたないと言われた父でしたが
そこはさすがの超人さ、
2週間を過ぎても生き続けました。
すでに詳しめに話していますが、
すべてを話すとそれだけで超大作になるのである程度カットしますね。
血圧が大幅低下し、
もう命の限界だと病院から電話が来ました。
上の血圧が20〜30ほどまで…
しかし、
そこは竹川の父だけあって生命力は超人級。
そんな状態から2度も復活しました。
そうした奇跡を起こしながらも、
父・竹川淳は8月14日に、
家族が見守る中、永眠しました。
父の携帯やSNSを使いながら、
あらゆる方に訃報の連絡をし、
通夜・葬儀の準備もしていきました。
8月16日に通夜、17日に葬儀を執り行いました。
本当にたくさんの方が来てくださり、
数え切れないほどの電報やメッセージ、供花をいただきました。
教え子さんたちや同級生、先輩・後輩など、
多くの方と話もできました。
そうして気付きました。
父の偉大さに。
哀しく、辛く、
未だに実感は完全にはないけど、
父のおかげでたくさんの経験ができ、
いろんなことを考えるきっかけになりました。
父がくれたものは一生消えることのない宝物です。
しばらくして、
和歌山に戻ってきました。
またいつも通りの日常に。
今年の1月から働き始めた中村養蜂園さんは、
夏の時期は北海道で仕事で、
父のことが終わり、
和歌山に戻って少ししてから帰ってきはりました。
それまでは、
これまでもお世話になった農家さんたちのところで働かせてもらっていました。
中村さんたちが帰ってきてからは、
本当にいつも通りの生活に。
夏の期間、
中断されていたサッカーのリーグ戦も再開し、
全勝、というわけにはいきませんでしたが、
着実に勝ち点を積み上げていきました。
迎えたリーグ最終節。
引き分け以上でリーグ優勝でしたが、
無事に勝利で終わり、
クラブとして初の県リーグ制覇となりました。
加えて、
初の府県リーグ(※)進出という結果に。
※関西リーグに上がるための大会
いろいろとあった長時間のミーティングを経て、
チームでもう一度結束を固めて挑むことに。
兵庫1位のエベイユFC、
奈良2位の法隆寺FC、
京都2位のSFIDA FCとのグループリーグ。
初めのSFIDA FC、法隆寺FCの2戦で
敗れてしまったため、
3戦目にはもう予選敗退が決まっている状況でした。
迎えた第3戦 vs エベイユFC、
2025シーズンを締めくくるラストマッチでもありました。
怪我持ちが多く満身創痍の中、
全員が限界を突破し闘い、
今季一気持ちの乗った熱い試合ができました。
結果は引き分けで終わりましたが、
未来に繋がる一戦になったかと思います。
サッカーと私生活を中心に、
2025年を振り返ってきました。
ここからは、
カテゴリー別でのざっとの振り返り、
これまでからの変化などをまとめたいと思います。
【サッカー】
今年は正直、
苦悩と反発の1年でした。
チーム事情なので詳しくは書けませんが、
「なんでなん」と思うことがめちゃくちゃ多かったです。
一番は、
“未来”が見えなかったこと。
それは個人としてもチームとしても。
リーグ優勝できた云々は関係なく、
そこはずっとの懸念点。
変化や成長点もあまりなく、
唯一、
右のCBをやるようになって右足で蹴ることが増えたことぐらいですかね。
【フットサル】
去年、
6年ぶりの関西1部リーグ復帰で闘いましたが、
2部との入替戦に回るほど苦しみました。
その入替戦で勝利し、
今季は関西1部での2シーズン目。
開幕2連勝と良い立ち上がりでしたが、
連敗や大敗があったりもしました。
それでも
2部降格の可能性は残り2節を残して無くなりました。
このコンテンツが出る12/20、
その次の日21日がリーグ最終節。
ぼくは南紀の予定と重なり行けませんが、
明日の結果で最終順位が決まるという感じです。
毎年そうですし、
21日もそうですが、
予定が被った時にフットサルに行けない
というのはやっぱりもどかしいです…
そんな想いがありながらも、
やはりセットスター和歌山での活動は
自分にとって本当に有意義なものです。
味方や相手のレベル、強度が高く、
監督は成長を促す指導をしてくれるので、
とても面白い。
不器用な自分ですが、
やれることが少しずつ増えていく感覚から充実感を得られています。
まだまだですが、
今年で成長できたこともあります。
一つは、
前線で受けて自力でシュートまで持っていけるようになったこと。
もう一つは、
1対1の局面でダブルタッチなどから突破できるようになったこと。
そして最後は、
セットプレーのボレーでふかす(上に行く)ことが少なくなり、チャンス・ゴールが増えたこと。
どれもまだまだですが、
チャレンジできるようになりましたし、
少し自信に繋がっているところです。
成長できるセットスターという環境を
来年も大切にしていきたいと思います。
【仕事】
今年の1月からは、
前々からお世話になっていた中村養蜂園さんで働かせてもらうことになりました。
初めてのことばかりでまだまだな自分ですが、
これまた学んでいける楽しさ、
生き物を扱う難しさと充実感を感じています。
やれることを増やしていって、
中村さんたちの力になれたらと思っています。
その他、
短時間正社員として働かせてもらっている三敬福祉会さんでの事務仕事、
家庭教師の方も順調に進んでいますね。
“お世話になっている人へ”
というのが自分にとって仕事の一番大事なところなので、この先もその意識をもって取り組んでいきます。
【私生活・プライベート】
上で書いたのでもう書きませんが、
やはり1年で一番大きかった出来事は父の死でした。
この先の人生を考えるきっかけにもなったし、
父の危篤、死、葬儀云々を通して、
家族や親戚たちとの絆も深まったように思います。
私生活の部分で大きな変化が3つありました。
一つは、
形見として父の車を乗るようになったこと。
大事にしたいと思います。
次に、
朝ごはんのメニューが変わったこと。
元々毎朝目玉焼き丼でしたが、
“お父さんの特製”という父がよく作ってくれた
卵を使った丼ものに代わりました。
(ちなみに父が危篤になる前からこれになっていました)
また、
午前練の日の朝は、
フルーツグラノーラになりました。
最後は、
睡眠時間を1時間増やすようになったこと。
これは大きな変化ですね。
元々6時間睡眠で、
それでも時間がない時間がない、
と言っていましたが、
スキマ時間をうまく活用し“時”を作り出しました。
そして、
これまでより1時間早く寝ることを意識。
フットサルの日は
夜中1時帰りなのでどうしても無理ですが、
それ以外の日は23時までには寝るよう心掛けています。
私生活面はそんな感じですかね、
みんなが気になる恋愛のところは
特にない1年でしたかね(?)
【音楽】
最後の項目です。
ご存じの通りNo Music No Life.の竹川の人生。
音楽に関して大きな変化、
というか新しくハマったアーティストがいました。
それが、
「ACE COLLECTION」さん。
セットスターの先輩に、
『70億にただ1つの奇跡』をおすすめされハマるように…
いろんな曲を聴くようになりましたね!
毎年インスタで投稿もあげている、
「LINE MUSICで振り返る◯◯年」
今年もまた挙げますが
やはりAimerさんは断トツでしたね😅
また投稿をお待ちください!
相変わらず、
恋愛ソングばっかりでしたね笑
以上で、
2025年の振り返りは終わりです。
父の死による哀しみや空虚感、
サッカーでの苦悩や反発心、
様々なことで“心”が動いた1年でした。
何もないよりかは、
刺激的で良いのかもしれませんがね…
今年も激動な年となりましたが、
果たして2026年はどうなるのか。
引き続き、
【挑戦し続ける和歌山の侍 竹川恭平】
をどうぞよろしくお願いします!
最後まで読んでくれたあなた、
大好きやで😍ありがとう!
これからも共に歩みましょう!!
2025.12.20